
「アンネの日記」
第二次世界大戦中ナチス・ドイツの大虐殺(ホロコースト)により亡くなったユダヤ人少女アンネ・フランクの日記を、父オットー・フランク氏が出版し世界的ベストセラーになったものです。
1971年に日本とイスラエルの文化交流のために合唱団がイスラエルを訪問しました。
合唱団の方々は、イスラエルのレストランで偶然アンネ・フランクの父オットー・フランク氏に出会います。
「アンネの日記」のことはもちろん合唱団の方々も知っていましたので、
その時から合唱団の方々とオットー氏との交流が始まりました。
そして1年後、オットー氏の好意によりアンネのバラ10株が日本に送られました。
アンネのバラは、正式な名前を「Souvenir d'Anne Frank」といい「アンネ・フランクの形見」と訳されています。
苗木の到着までに1ヶ月もかかり、10株のうち9株が枯れ、1株だけが合唱団の一員で聖イエス会の創設者の方の庭に根付きました。
この1株がアンネのバラと日本を結びつける最初の1本となりました。
アンネのバラはその後、その存在が広く知られるようになりました。
「私達もアンネのバラを育ててみたい!」という希望を受け、
オットー氏は更に10株のバラ苗を日本に送りました。
この苗を園芸家や学生たちが接木をして増やしていった結果、
現在では日本中でアンネのバラが栽培されるようになりました。
私たちの学校でも、アンネのバラが栽培され、今、見事に咲き誇っています。
バラ・・・ということで勝手に真っ赤なものだと思っていたのですが、そうではないようです。
アンネ・フランク資料館館長高橋数樹氏の『アンネのバラの紹介文』によると、
「普通、バラの花は蕾が少し開いた状態が一番美しいものです。しかし、アンネのバラは、開花後も変色し、日々色が変わるので、見る者を最後まで楽しませてくれます。そして散り方は実に潔いのです。」
「アンネのバラの花は、美しく変化する性質を持っています。蕾の時は赤色、開花するとオレンジ色に
黄色がかったいわゆる黄金色で、さらに時間の経過とともに日差しを浴びて、花弁の先から次第にサーモンピンクに変色し、さらに濃く変色して赤色に近くなります。色の変化は寒暖の差が激しいほど鮮やかで冴えます。」
なんと不思議な、そして魅力的なバラなのでしょう!
もし機会がおありでしたら、中高玄関前に綺麗に咲いているバラの花をご覧ください。
そして、私たちは、ただ綺麗だ、とながめるだけでなく、
アンネのバラの歴史的背景について、生徒たちにしっかりと伝えていかねばなりません。
さて、体育祭。
一日、順延となりました。
明日こそは五月晴れのもと、開催することができますように。

